こんにちは、樽タサクです。
今日は、自己肯定感を得るには根拠も材料もいらないという話。
ギフテッドの自己肯定感の低さは、完璧主義から発生することが多いです。
自分の理想と、それを比較した現在の自分に打ちのめされます。
外のことに関しては、いろいろな視点を持ち考察できるギフテッドです。
しかし、自分の内面に関しては完璧主義の立場から考察して絶対的価値観で判断しています。
そこから、自分に対してストイックな状態になり、自己肯定が出来なくなってしまいます。
自分に関しては、観察視点が極端に少ない…。
ギフテッド本人自身、自己肯定感が必要なもだと認識していないのでは?と思ったりします。
自己肯定感が高い人を知ったときの衝撃!
これは、私が自己肯定感は必要なものだと認識したきっかけのエピソードです。
高校同級生のA子の話は、自己肯定感に関する衝撃的なものでした。
(以下、人の美醜の話になってきます。それを語るのはハラスメントにならないの?ってなりますが、話の内容に必要な要素なので書きます。 ご了承ください ○┓ペコ)
A子ははっきり言って、美人ではありません。
普通といったら普通なのだけれども、美人というカテゴリーには入りません。
雰囲気がかわいらしいというカテゴリーにすら入りません。
おしゃれで、しぐさがカワイイという雰囲気勝ちにすら入らないということ。
ここまで書いたら、最悪に貶めているようです。
自分で書いていながら、つらくなってきます ヾ(;´Д`●)ノぁゎゎ
A子はモテました。
それも、相手はほとんどが人気男子。
人気男子をことごとくかっさらっていくって感じです。
A子があまりにも見た目が地味なので、A子の周りの女子からその話を聞くまでは私は知りませんでした。
まぁ、私がその手の話に興味がなかったからもしれませんが… (;´Д`)
人気男子をどんどん彼氏にしていくのはいいとして、その過程は驚きでした。
人気男子だけあって、彼らには彼女がしっかりいました。
彼女さんたちは、かわいかったです。
A子よりもずっとかわいかったです。
それなのに、A子は彼女たちから人気男子を横取りです。
言葉は悪いですが、本当に横取りです。
A子自身もその自覚がありました。
そして、横取りすることをどう思っているかと聞かれて、言い放った言葉は
「取られたやつが悪い。あの子たちは彼女になったからって、それに胡坐をかいていたんでしょ!」
ここまでが外側からみたA子の話です。
いやぁ、ここまで読んでムナ●ソ悪くなりますよね。
ここはそういう話では終わりません。
気分を害したらスミマセン ヾ(_ _。)
ここからが本質の部分です。
社会に出てから知る真実
社会人になって、たまたまA子の幼馴染C美さんと知り合いになりました。
C美さんは性格の良いきれいな方です。
当然、共通の知人となるA子の話になりました。
A子のモテ伝説の話です。
何度思い返しても私は、A子モテ伝説は納得がいっていませんでした。
その納得いかない考えをC美さんに伝えました。

C美さんのような人がモテるのは納得がいくけど、なぜA子がモテたの?訳が分からない

モテるのは外見の問題ではないよ。 トークよ、トークの腕だよ。

は??????

相手の話を聞くこと、そしてそれを肯定すること。トークと言っても相手を惹きつけるトークではなく、相手の話を聞きだしてそれを肯定してあげるトークの腕!

そういうものなの?

ただそれだけ。そこに色仕掛けや、相手に媚を売るなんてないのよ、A子には。 本当にそういうものはなかった。外見なんて全然問題にならない。
誰からみてもきれいな(街を歩けばナンパはしょっちゅう)のC美さんの言葉です。
納得せざるを得ませんでした。 降参 (。-_-。 )ノ~~
C美さんはこうも言っていました。

A子は肯定されて育ったのよ。あの見た目なのに、母親がA子をお姫様のような育て方だったのよ。A子本人はそれを冷ややかに見ていたけどね。さすがに自分にはお姫様は似合わないと思ってた。そこらへんはなんというか、勘違いしないで自分を冷静に見ていたね。 でも、母親がA子のことを大切にして、肯定していたことはA子自身しっかり分かっていた。
ひとの心って見えません。見えないから不思議で、面白くて、そして…コワイ。
自己肯定感があるだけで、欲しいものを得ていく。
どうやら、自己肯定感は見た目を超越するらしいです。
自己肯定感があると、他人の話を受け入れる余裕が生まれる。
余裕は相手を安心させ、肯定してもらっていると感じるのでしょう。
こうなったら、もう正のスパイラル。
最強ですよ。
A子のモテ伝説は自己肯定感の高さの一つの実例です。
恋愛だけに通用するということではありません。
自分が欲する状況にするには、自己肯定感が大きく作用するということ。
●●だから、私はできない。
▲▲がないので、私には無理。
自己肯定感があれば、このような思考にならずに、欲するものを得られるということです。
自己啓発でよく言われている「自己肯定感を高めましょう!」
この言葉を納得した瞬間でした。
自己肯定感を高めるときの注意点
自己肯定しましょうという言葉に誤解されることが一つ。
「自分で自分をだますぐらい思い込んで肯定しなきゃ」と捉えること。
これはやめといたほうがいいです。
勘違いや思い込みは自分をだましていると感じて、自己嫌悪になってしまいます。
C美さんの証言で、
「さすがに自分(A子自身で)にはお姫様は似合わないと思ってた。そこらへんはなんというか、勘違いしないで自分を冷静に見ていた」
とありました。
A子はしっかりと自分自身の外見の現実は認識していた。
自分の見た目の把握はしっかりできていた。
自分がカワイイとかきれいなどと勘違いは一切していなかった。
重要なのは、
「親から大切にされて、肯定されていた認識」
ということ。
先ほど書いた、「自己肯定感は見た目を超越する」ということの大きな理由です。
自己肯定感を得るのに、容姿などの条件を必要としていないし、それが足を引っ張ることもないということ。
自己肯定感を得ることは、それほど強力なものです。
自己肯定感を得るにはどうすればいい?
大人になって自己肯定感を得るには、どうすればいいのか?
自分は子どものときから親から肯定されていないからダメなのか?
過ぎ去ってしまったことをいちいち悔やんでも、恨んでも仕方がありません。
かといって、無理やり前向きになるのはちょっと違う。
子どものときと違って大人になった今は、自分が肯定されていなかったとういう事実を認識できた。
それだけでもOKだと思います。
必要ならば、カウンセリング受けるのもいいし、いろいろなスピリチュアル的なワークするのでもいいし。
(私はキラキラハッピー系のスピリチュアルは苦手ですが…)
自分が納得いく方法ですればいいです。
カウンセリングにしろ、スピリチュアル的なワークにしろ立場は同じ、
「自分に対する新たな視点を獲得し、客観的に自分を認識すること」
です。
認識できないでいることが、負のスパイラル(自己否定など)の真っただ中にいることですし、
認識出来たら、少々負のスパイラルから離れたところに視点がある証拠。
もしまた負のスパイラルに入っても、一度手に入れた視点は忘れません。
自転車と同じで、体感は残るものです。
思い出した時にその視点から再スタートすればいいだけです。
そうすれば、最初のころよりはちょっと経験を積んでいますから、ちょっと楽に新たな視点を獲得できます。
新たな視点は、新たな自分の肯定面を見つけることにつながります。
これが、大人になって自己肯定感を得ていく方法だと思います。
認識した、即解消! ⇒ そして、自己肯定完了!! とはなりません。
ですが、認識したことは確実に自己肯定感を得る一歩になっていることは確かです。
最後に
ストイックにならず、気楽に新しい視点を見つけて、一つ一つ自己肯定感を獲得していけばいいです。
とはいっても、簡単に負のスパイラルへと戻ってしまうこともあるでしょう。
それでも構いません。
負のスパイラルにる自分と、いくつかの新しい視点を持つ自分の間で行きつ戻りつすればいいです。
行きつ戻りつした距離が、意外と人としての余裕になったりするもんです。
そうやってできる余裕がまた、新しい自分の肯定感をもたらしたりするかもしれません。
それでは
また、次回 ヾ(´∀`)