ギフテッドがギフテッド(友人)を見つけたとき

友人 ギフテッド大人と人間関係

 

こんにちは、樽タサクです。
表記方法を変えてみました

今回は、ギフテッドがギフテッドを見つけたときの状況です。
実際、私がギフテッドの友人を見つけたときはどうだったかを書いていきたいと思います。

 

スポンサーリンク

ギフテッドの友人を見つけたとき

以前の記事(ギフテッドがギフテッドを見つける方法)で書いた方法で探しました。

 

相手がギフテッドでは?と思う時はじわじわ来る感じです。
感覚的ですが…。

 

パズルのピースを一つずつ探してハメていく感じです。
そこに感情の高ぶりはありません
なんとなく、あれ?あれ?ギフテッドなのかな…?
という考えがちょこちょこ浮かぶ感じです。

 

運命的な出会い!
っていうふうにはなりませんでした。

 

ギフテッドの友人との共通の趣味はありますが、相手の好みが自分の好みと同じということはありません。
なんでも一緒!私たちソウルメイト!
なんてこたぁ、ありゃしません。
キラキラ・ハッピーじゃありませんよ (´ー`)┌フッ

 

以前の記事も書きましたが、
ギフテット同士での会話には疲労感がありません
たとえ自分が興味ないものでも、友人のギフテッド思考を通して話を聞くので、理解ができるって感じです。
思考が好き嫌いの感情面を超える感じです。

 

実際は、疲労感がなさ過ぎて、逆に相手がギフテッドだと気づくのが遅かったです。
これはなんだか不思議です。

 

普通の会話のときには気づかなかったです。
相手の物の好き嫌いに関して、私自身があまり頓着しないせいかもしれませんが、本当に気づきませんでした。
話していて疲れないというだけだったので、これ以上突っ込んだ話をすることはありませんでした。

 

普段、人付き合いで自分のギフテッド思考回路全開にすることはありません。
そんなことしたら、面倒になことになることは経験済みです。
自分の思考回路のスピードを抑えているので、人付き合いは疲労があるのが当たり前。
相手にばれないような振る舞いをするのが染みついていました。
そんな状況が長かったので逆に、ギフテッド回路全開状態で話すときの解放感を求めていなかったからかもしれません。

 

スポンサーリンク

それでもギフテッドの友人を見つけられた理由

以前の記事(話がかみ合わない)に書いた内容を繰り返したのが一番の理由だと思います。
これを繰り返したとき、疲労感がない相手がいることを知りました。

 

自分自身を客観視して、楽に生きるための方法を探していく過程でたまたま見つかった。
ギフテッドの友人を見つけたのは単なる偶然、ただそれだけです。

 

今いる環境で、いかに自分が楽に生きられるかを淡々と、感情と現実を分けて考えて行動した結果だと思います。

 

山奥で一人っきりで生きるわけではないので、どうしても人間関係は築かなければなりません。
人間関係から逃げたくても、逃げ切れる可能性は低いです。

 

人間関係を改善するんだ!と意気込まなくていいです。
改善するんだ!と意気込むと、感情と現実を分けて考えられなくなりますから。

 

ゆるめに、楽に、淡々と自分を客観視することを続けていけば、意図しない嬉しい結果を得られると思います。
ギフテッドの友人を見つけようと意図しなかったことが、逆に見つけられた結果につながったのでしょう。

 

それでは、
また次回 ヾ(´∀`)

タイトルとURLをコピーしました