脳内映像と脳内で起こることの映像化、そして言語化④総括

脳内映像と 脳内で起こることの映像化、 そして言語化 ④総括 ギフテッド児のあれこれ

こんにちは、樽タサクです。

今回は過去3回に渡って書いてきました「脳内映像と脳内で起こることの映像化、そして言語化」の最終回です。

過去3回の記事はこちら ⇓

 

言語化するといっても色々あります。

何が自分にとって良かったかは後々になってしか分からないもの。そして、予想していた結果とは全然違うものが得られることの方が多かったりします。

なにがでるかな~なにがでるかな~で、ゆるく楽しみながら待つしかない。

 

まぁどうであれ、そのときその瞬間で自分が「どう在る」のが心地いいかを感じ続けるだけです。

(この考えを書き続けるとスピっぽくなるから一旦終わり)

 

では、総括・・・のようなモノを書いていきます。(今シリーズの単なる感想文だな、これ)

 

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解放・癒しはドミノ倒しと自動お片付けのように

甥のように私の頭にも複数人がいる状態ですが、特に戸惑うということはなかったです。

戸惑うことはないのだけれど、ひとつに絞れないことにフラストレーションを感じていたし、「メインの人」以外は失くしてしまいたいとさえ思うこともありました

 

こういったことを親を含めて他人に話すことなく大人になる。

自分のことを他人に話しても伝わらないし、話したとしても状況がいい方向へ進む経験などしたことはないから黙っている。

それに、余計な心配をされるか、異質さだけが際立ってさらなる面倒を招いてしまうことにもなるしね。

 

諦めが何十年も続き、理解して欲しい、知って欲しいという欲求すら ない という中で、妹(甥の母)から甥についてこの話を聞かされたとき、

 

タサク
タサク

なーんだ、こういう所も私の頭の中と同じかぁ・・・
なんだろう・・・妙にウレシイ。

 

と感じました。

同じ状況を知るだけでも解放と癒しを得る。

 

「求めていないところ or 思わぬところで解放と癒し」
 

これはナカナカの威力があります。

 

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求めていないところ or 思わぬところでの解放と癒しの感覚

予想外のところで解放や癒しが起こる感覚がどういったものっだったのかというと・・・

 

脳内では色んな方向と階層でプラスの連想がドミノ倒しのように始まり、そして自分の中のストッパーが外れてどんどん広がって静かなる興奮が続く。

 

静かなの?興奮しているの?どっちなの?って突っ込まれるところですが、どっちもです。
そして・・・

 

些細なきっかけで遠くで始まった連想がどんどん加速して、あまりにも遠すぎて意識上では無関係だと思っていた場所へと到達し、そしてそこにある何かが崩され行く。

崩されたモノの先で、そこから始まる新しい世界が見えるという感覚。

 

大袈裟だなぁ (´Д`) =3 ハゥー

 

どうにもこうにも超えられなかった壁や、デカすぎて壁とすら認識できないものが、小さなきっかけの連鎖(連想)で崩れる。美しさと快感を伴って。

それを映像でみるとこんな感じかな、感覚的に捉えて下さい ⇓
(スタートするとピラミッド崩壊部分から始まります)

 

力ずくで無理やり突破しようとしたら、きっと壁を構成するモノの下敷きになって埋もれてしまい窒息していたはず。

ドミノだと崩れたあとのお片付けは大変ですが、脳内ではそれが自動で整理されていく感覚です。

崩されながらも、それを構成していた一つ一つのピースは自動的に整理されていく・・・なんて便利な脳。

 

便利な脳・・・べんりなの~
キタ━━━ヽ(∀゚ )人( ゚∀)人(∀゚ )人( ゚∀)ノ━━━!!!!

 

癒しの描写が長いな・・・話を元に戻します。

 

私の心地よさは「審判員」のほうです

頭の中にいるどれかが状況に応じて表に出る、という感覚があります。

私の場合はひとつひとつが完全に独立した存在ではなくて、グラデーションで性質が違ってくる。構成成分が変化する感じかな。

でも完全独立的な存在もあります。甥の表現でいうところの審判(員)のような人です。

甥とは違って私の場合は、「審判のような人」がメインだと一番安定していて心地がいいですし、体調も良いです。

その他の「理論・理屈メイン」or「感覚・感情メイン」だと消耗が激しい。

  

心地よさや消耗の少なさは、成育過程でどういう環境だったか、もしくは特性以外の要素で変わっていくのかもしれない。

同じ特性を持っているから、同じような道を必ず歩むということではないですね。

(特性以外の要素って・・・算命学やらホロスコープやらそういうもので確認してくださいませ)

 

甥

どれでもいい。
でも俺は心地いいほうを選ぶけどね。

 

状況に応じた「ベストな俺」を迷いなく選択しているようです。

 

「どれでもいい。でも心地いいほうを選ぶけどね。」という回路

そういう選択が出来る回路を甥は持っている。心地いいという感覚で選択する回路を持っていて、それを無理なく辿って実際の行動につなげていく。

 

そういう態度(言動)の甥を観察していて、私の内部ではこんな感じになる

  • 似た特性(同じ特性)を持っている相手だから、話しをしながらこちらもその回路を疑似的にでも体験して納得する。
  • 「○○したほうがいい」とか「○○すべきだ」と力説されたわけでもないけれど、納得する、納得してしまう。

 

面白いもんです。OSに合ったソフトをダウンロードするみたいだ。

 

脳内のどの人も自分自身だという甥の認識の仕方は自己受容ですな。うまくそれぞれの人を出し入れでき、そのどちらも自分自身。

 

私と似た(同じ)特性を持つ甥の上手くいっている体験を垣間見て、自分の脳内で疑似的に体験して受け入れてしまう。

回りくどいやり方かもしれないけれど、これもまた自己受容さ。

 

私はいちいち遠回りしないといけない回路になっているだけさ。

 

安心ベースで特性発揮している人(甥)と、
不安定ベースで特性発揮してきた人(タサク)との違いがここに出ているだけさ。

 

こうやって脳内を対比して自分に対する理解が深まるさ。
 
 

慣れてくればきっとその回路を早く辿ったり、ショートカットできる回路を新たに獲得できるはずさ。(疑似体験で感覚を掴んだしね)

頭の回路

脳の可塑性バンザーイ!
ワーイε=ヾ(*・∀・)/

  

自分の感覚を否定せずに理解する助けになった本

今回、4回に分けて書いてきた内容のベースの本はこちらの3冊です。自分の無意識の反応の回路がどうつくられるのか把握するのに参考になります。

 

思考や意識ではなく、身体自体が生き残るために無意識にどう反射(反応)していったかを理解する手助けになる一冊。
自律神経の状態によって行動や心理・感情の反応も色々変化する。同じ状況・モノでも人によって反応が変化するし、安心をどう感じていくかを自律神経の反応から理解していけます。

 

タイトルにあるようにトラウマの実例が多く出てくるので、気力・体力レベルが高いときに読むことをおススメします。

 

上記の2冊を読む前に、こちらを先に読むといいかもしれません。
「ポリヴェーガル理論入門」の訳をされた方の著書です。
入門のための入門として。
そして、トラウマ実例を読んで大きな衝撃を受けてしまう前の「緩衝」的一冊として。

 

同じものを見聞きしても人によって反応が違う。

その反応は自分の思考(考え)だけではなく、無意識に引き起こされる身体の反応もある。

例えば大きな物音を聞いて、一瞬驚くけれど何事もなかったかのようにすぐ通常状態に戻る人もいれば、暫く身体がこわばりなかなか通常状態に戻れない人もいる。

 

思考回路や神経回路(自律神経系)にもクセができてしまっていると捉えると少しは自分の中に余裕ができる感じ。

違った反応に対してどう受け止めるかをずっと思考をグルグルさせるよりも、機械的にでも身体の仕組みをさら~っとでも頭に入れておく。

そしてクセ(反応)を変えることが出来ることを「知って心の底から納得する」

 

こうしてまたひとつ自分の中にあるカオスが整理される。完璧な整理ではなく、暫定的なものなのですが、その整理されていくのを歓びと感じている自分がいる。

 

もう一つおまけに、連続ピラミッド崩壊

実際の感覚はもっと立体的で、音は静かです。
(脳内なのに「実際」って言葉のチョイスは違うよなぁ)

 

最後に

頭の中で起こることを共有して初めて「どうやら私と同じ人がいるらしいと安心する」とか「モヤモヤしていたことの言語化への助けになる」ことがあります。

 

複雑だったり、ブラックボックスであるが故に言葉に上手く言い表せなかったり、いろんなものを抱えてしまうのは仕方がないこと。

 

甥が安心して頭の中で起こることを言語化できる場(時間)を設けたことで、私自身の中で起こる風の流れを感じる。

風が通ることで初めて自分の思考がどういう方向へ向いているのか確認でき、そしてまた新しい風の通り道が拓かれて今までと違った選択肢となる間口(風の通り抜ける)が見えたりします。

 

人と話すことで自分のメンテナンス作業も同時にできる。情けは人の為ならずを感じる瞬間だ。

 

とはいえ、プライベートでデリケートな部分でもあるので、なんでもかんでも人の頭の中を覗けばいいということではないです。

覗き見注意

 

親しき中にも礼儀ありでっせ。

相手との距離の取り方や、どれだけ安心・信頼がそこに在るかにも関わってきますので、あまり焦らずに・・・です。

光学迷彩
気配をけしつつ状況観察

 

相手との距離を取るときのベースはこんな感じでございます ⇓ 

 

この記事の後半でも、安心・信頼について言及しています ⇓ 

 

 

今回はおふざけも少なく、「安心」を連呼した回になりました。

ポリヴェーガル理論で安心大事と再確認し、さらに安心でございます。
(大雑把な結論)

 

それでは、また次回 ヾ(´∀`)

 


※③の記事で予告していた ⇓ は後日別にして書きます m(_ _)m

外の状況に対してどちらが優位になるかの「闘い」はそれほど気にならないけれど、自分に対するものになるとその「闘い」はよりクローズアップされてくる感覚のようです。
(↑これに関しては次回④でじっくり書いていきます)

 

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