こんにちは、セロトニン不足を解消に取り組んで元気になりました樽タサクです。
元気になるのはいいのですが、色々思考も溢れて、あれこれ書きたい状態で分散して纏まらず、保留記事が溜まる一方。
とっとと本題に入ります。
私の心の安定に役立っているのが、この専門書 ⇓
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読んだときの感想がメインですが、以前にもギフテッドのこの専門書について書きました。
専門書は定期的に読み返して、自分のケアをしています。
ギフテッドとしての自分自身のケア・・・
頭では分かっていても、心には何かが引っ掛かっていて、専門書にさえも手を出さない or 手が出ない人もいるはず。
心の引っ掛かりや迷いを少しでも解消できたらいいなと思って書いてみました。参考にどうぞ。
ギフテッドか?違うのか?・・・迷う
どれぐらいの基準に至るのなら、自分自身をギフテッドと関連付けていいのか。
多くの人(ギフテッドでは?と思っている)が引っ掛かっていることは学歴、IQ値、実績などなど。
それらのインパクトが大きすぎて、最重要項目だと思ってしまう。
このインパクトのせいで脳がそこへロックオン。そして???な判断結果へと向かう。

これまで周囲の人と違うことで疎外感や違和感を感じていながら、今度はギフテッドではないということを自分に言い聞かせて周囲の人とそれほど違わないと思い込もうとする。
「今までの疎外感や違和感は大したことない、一般的な誤差の範囲さ~、自分の勘違いさ~」
なんてね。
オイオイ、だいじょうぶか?
分かりやすい例で考えてみると・・・勉強面。
●学校の勉強そのもの、授業そのもの、先生の教え方、周囲の学び方、それらに全然意味を見出せなかったり、興味が湧かなかったりとか。
●ただそこに自分の知的過興奮性の矛先が向かわなかっただけで、成績が思わしくなかっただけとか。
●学校というシステムそのものへの疑問、不信、反抗、などがあったとか。
成績や学歴などの結果を自分が持ち合わせていないとき、原因がどこにあったのか、探らなければわからない。
一側面だけみて、その結果が自分には無いということで、特性を考慮せずに「自分はギフテッドではない」としている人が結構います。
一旦、自分はそうではないと結論付け、ギフテッドというワードから遠ざかっても、何かの拍子に亡霊のごとくワードは浮かび上がってくる。
「ギフテッドかも・・・否、違う。」
これを繰り返す。
ここまで来たら、もうホラーです。
シャンプー中にふと思い出すあの恐怖・・・あれと一緒 (笑)
IQの値や学歴・経歴よりも、過集中や過興奮性(知的・精神運動・感情・感覚・想像)などの特性をもっと知ることがもっと重要です。(過興奮性に関する過去の記事はこちら)
この専門書には個人の体験例も多く載っています。
IQなどの数値や目に見える成果でもない、個人の体験を数多く見ることも助けになります。
是非、手に取ってみてください。
もしかしてこんなことよりも、もっと何とも言い表せない、というか向き合いたくないことがあったりするのでしょうか?
事実に向き合いたくない?
もしかして、こんな思いがありますか?
●色々探ってみて、やっぱりギフテッドだった・・・なんてこった
●色々探ってみたけど、ギフテッドじゃなかった・・・ショック Σ(゚д゚lll)ガーン
どっちになるんだろうという思い、というか恐怖。
自分の中にある恐怖は前者?後者?
やっぱりギフテッドだった・・・なんてこった
「色々探ったらギフテッドだった・・・なんてこった」という前者はまだいいです。
(そもそも、なんてこった・・・って思う人いるのか?)
腹くくって自分をギフテッドと受け入れ、その特性に沿ったやり方をどんどん取り入れて、心の安定・平和を感じられるきっかけを掴んでいくだけ。
専門書を何度も何度も読んで、ギフテッド特性をもつ自分自身をより深く知っていきましょ。
そこには恐れるものは何もありません。
怪獣じゃないですし、宇宙人でもないですよ。

「心の安定・平和」という項目は、ギフテッドであろうとなかろうと人として共通で重要な土台。
そこをしっかり掴んで後、自分の人生を構築・創造などをしていけばいい。
専門書を読むことはカウンセリングにもなる
この専門書のなかで、発達障害や精神障害とギフテッドの似ている部分と、そうではない部分が多く書かれています。
タイトルにもあるように、誤診に関するものだから当たり前ですが、この違いを知ることでより自分自身を深く理解することができます。
自分自身に対する誤解が解けていく。
解けていく瞬間が連続して起こり、カウンセリングを受けたように感じます。
これは以前の記事にも書きました。
だから、この専門書と向き合ってみてください。
読みながら、一つ一つ自分の過去、現在と照らし合わせてどんどん疑問を解決していってください。
そうすることで、明るくなるであろう未来が見えてくると思います。
ギフテッドじゃなかった・・・ショック Σ(゚д゚lll)ガーン
問題は後者かな。
ギフテッドじゃなかった・・・事実を突きつけられて落ち込む。
自分自身への期待、自分がツライ理由がつかめなかった落胆、ギフテッドだと思うことで心の支えにしてきた・・・などなど。
更に辛さが増す感じで、なんだか書いているだけでもいたたまれない気持ちになってきます。

落ち込んでハイ終わりではありません!
とても大切なことを忘れていますよ。
事実と向き合うこと=自分自身をちゃんと把握すること
専門書を読みながら、書かれた内容と自分自身の過去・現在を照らし合わせていく作業をしていくことで、ギフテッドの実態や事実を確認をする。
チェックリストでちゃっちゃと終わるようなものじゃありません。
そこに求めていた結論「私はギフテッド」、が得られなくても自分自身を掘り下げてより深く理解することはできます。
ギフテッドと自分を対比する作業をしていくことで、自分自身がどういう風な思考をしているかとか、どういう性質をもっているかを把握する手助けになるはずです。
ギフテッドの専門書を読んで対比をして新たな視点を得る。

新たな視点、これが一番大切。
ここで、素朴な疑問・・・
自己陶酔&自己憐憫のみで「ワタシ~ギフテッドだからツライのよね~」なんてアクセサリーのごとく言ってくる人が、こんな専門書を取り寄せて、客観的に自分と向き合う作業するかなぁ?

どう考えても、するとは思えない。
向き合う作業をすると決めた段階で、自己陶酔&自己憐憫じゃないでしょ。
思い込みかも・・・中二病かも・・・そんな心配いらんいらん。
結果がどうであれ、専門書片手に自分自身を観察&考察して客観視し、把握していくのですから知的作業ですし、思考訓練で自己研鑽になると思っています。
視点の引き出し増加で、プラス面しかない!
自己陶酔&自己憐憫で色々こじらせる人を冷静に観察できるようになるし、そんな人との適切な距離もとれるようになるはず。
安心して、じっくり取り組んでみてください。
最後に
向き合わずに怯えていると、恐怖は増幅します。
恐怖は向き合ったときに消える。
ここで勘違いして、恐怖に対して「オラオラーーー!かかってこーーーい!!」と戦闘モードになると、これまた増幅します。
向き合うとは、身構えずに淡々と行う観察・考察することです。
それを繰り返し行い認識&理解を深めて、自分自身の力で安心を得る。
人から与えられる安心よりも、もっと深い安心、揺るがない安心です。
もし、観察・考察して少しでも辛くなったら躊躇せず休みましょ。
少々自分を甘やかしてエネルギーチャージしてから、また取り組めばいいだけです。
それでは
また、次回 ヾ(´∀`)