ギフテッドの自己受容⑥:過集中でのゾーンとフロー。そしてフラット状態。

ギフテッドの自己受容⑥:過集中でのゾーンとフロー。そしてフラット状態。 ギフテッド大人の自己受容

こんにちは、1時間平気で瞑想できる樽タサクです。

常に思考がフル稼働なはずなのに、瞑想となると思考が止まります。

「止める」ということに過集中しているだけなのかも。

 

前回の記事で、フラット状態になるまでの経緯を書きました。

今まで、過集中で体調不良が起こるときとそうでないときがありました。

自己受容作業をして、過集中のなかでのゾーンとフロー状態の違いがつかめてきた感じがします。

大枠としては同じなのですが、体への負担を軸に考えると違いが出てくるかなと思っています。

これについて数日前につぶやいた内容です。

過集中にも2種類あるようです(私の体験では)。

種類によって体調が変わる。

なんだか動物的ですが、人間なんざ所詮動物。

 

因みに動物占いでは私はゾウです。

動物占いの結果はゾウです

(どうでもいい情報)

 

つぶやいた内容について書いていきたいと思います。

 

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一点のみに集中して周囲の存在が消える過集中

過集中と言えば、この「一点のみに集中して周囲の存在が消える」というイメージです。

人によって感じかたは違うと思うのですが、私にとってはそれは「ゾーンに入っている状態」

ゾーンに入っていると、私は周囲に対して無反応になっていきます。

その時は他人の反応すら感じとれないし、周囲の音も聞こえない。

つまり我(われ)の意識のみ

 

それと同時に、自分の身体の反応すら意識外のものとなります。

だから、自分の体調の変化も感じ取りにくくなって、体が本当に動けなくなって初めて体調不良を知る。

本当に寝食を忘れて、暴走しているだけ。

狂戦士のように暴走

確かに成果が出せるのですが、一旦体調不良でストップしてしまうと、それ以上の発展には繋がらない。

 

出来るのに、なぜか続かないと言われてしまう原因のひとつかなと思います。

飽きっぽいというよりも、体がついていけない。

それだけです。

 

話がそれてきました、ゾーン状態中の話に戻ります。

この過集中(ゾーン状態)に入ると独りよがりになるので・・・そうです、軋轢・誤解・齟齬、ありとあらゆる不調和が起きる可能性が大きくなる

なんで周囲は理解しないんだ!できないんだ!!何なのだーーーー!!!

という不毛で不幸なサイクル突入。

表面的には他人との衝突が発生していなくても、心のなかでは大きな衝突・葛藤が起きる事も多々。

 

何度も書きますが、これはタサク個人の過去を振り返ってのことです。

今回は私の体験を説明する上でこのようにしました。

ひとによっては、とてもいい状態を「ゾーンに入る」としていると思います。

捉え方はそれぞれです。

単なるサンプルの一つとして見てください。

 

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一点に集中しているけれど同時に周囲への意識もある過集中

物凄く集中しているはずなのに、自分の状態も含めて周囲への意識も把握できる状態。

この時の過集中では、全然体調が悪くならない。

 

この時のすこぶるよい状態での過集中は、私の中では「フロー状態」

フロー(flow)というだけあって、絶え間なく流れる、流れ出る、湧き出る、流れるように動感じです。

心がこんな状態なので、フロー状態にいるだけで癒される。

過集中で作業をしているのに、フロー状態だから余計なモノを流し去りながら、エネルギーは供給される

過集中状態にもかかわらず、周囲の人(家族も含め)との不調和音が響くことなく過ごせる。

良いことしかない。

 

個人体験の範囲から出られず、般化できる表現方法が見つからない・・・。

もうここは、先ほどの川の動画をぼーーーっと1時間ほど見続けてもらって・・・穏やか~な感覚が出てきたな~と思ったら・・・次のこの動画の音楽を聴いていただいて・・・。

 

どうですか、この合わせ技。

伝わりますでしょうか?この「フロー状態の過集中」

体感して初めて伝わるものってあります。

 

言葉で表現することを放棄して、動画の組み合わせで丸投げ。

そうです、手抜き・・・いや、視覚空間型思考にとってこの表現方法は有効な手段!
(*`д´)b OK!

 

自己受容作業をしながら、相当な集中状態にも関わらず、そして脳内惨劇・悲劇状態になっても、切り替えが上手くいって、体調も良くなっていったのはこのフロー状態であったからだと思います。

 

フロー状態が更に進んでフラット状態へ

このフロー状態(状況)が更に精度を上げてフラット状態へと突入した感じでした。

つまり、「ギフテッドの自己受容⑤」で書いた涅槃(もどき)。

悟っているとも違うので、私の書く言葉には何のご利益はありませんよ、残念ですが。

 

フラットな状態は、先ほどの動画の川よりももっと穏やかで、音もなく、波もなく、それでいてもっと透き通った感じです。

 

音も波もないのに、深いところで何かは流れて続けている

そして、何か動きを五感で感知したら、どんなに小さくても反応できる。

その反応は自分の心の動きに対しても同じ。

 

神と一体じゃー!とか宇宙と一体じゃーー!!ってこたぁ言いませんが、そう受け止めてしまう危険性があるような気がします。

ここがきっと頭パッカーンと冷静の分かれ道。

でも、とても不思議な感覚であることは否定できません。

安心して下さい、あんなモノや

くすり

こんなモノは

注射器

使ってませんよ、いたって健全。

 

心の支え

ふざけずちょっと真面目に。

今回の自己受容作業するにあたって、心の支えになった言葉。

自分の内を見よ。内にこそ善の泉があり、この泉は君がたえず掘り下げさえすれば、たえず湧き出るであろう。

「自省録」マルクス・アウレーリウス (第7巻 59)

  

そして、フロー状態やフラット状態になって、理解がより深くなった言葉。

すべては主観にすぎないことを思え。その主観は君の力でどうにでもなるのだ。
したがって君の意のままに主観を除去するがよい。するとあたかも岬をまわった船のごとく眼前にあらわれるのは、見よ、凪と、まったき静けさと、波もなき入江。

「自省録」マルクス・アウレーリウス (第12巻 22)

 

むか~しの偉いひとの冷静な言葉を支えにしている限り、頭パッカーンの危険性からは逃れられると思っております。はい。

 

最後に

自己受容などという大層なタイトルで数記事書いてきましたが、所詮一個人の体験談。

言葉の定義が読んでいる方のものとは違うこともあるでしょうが、そこら辺はしっくりいくものに変換して頂ければと思います。

何かしらのヒントになる部分があれば幸いでございます。

 

1つ前の記事にも書きましたが、何気ない表現がギフテッドの過興奮性を刺激して、全く別の問題が解決するきっかけになることもあります。

それがギフテッド特性の強み&醍醐味だと思っています。

 

それでは
また、次回 ヾ(´∀`)

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