こんにちは、1時間平気で瞑想できる樽タサクです。
常に思考がフル稼働なはずなのに、瞑想となると思考が止まります。
「止める」ということに過集中しているだけなのかも。
前回の記事で、フラット状態になるまでの経緯を書きました。
今まで、過集中で体調不良が起こるときとそうでないときがありました。
自己受容作業をして、過集中のなかでのゾーンとフロー状態の違いがつかめてきた感じがします。
大枠としては同じなのですが、体への負担を軸に考えると違いが出てくるかなと思っています。
これについて数日前につぶやいた内容です。
自分の過集中には2つタイプがある。
— 樽タサク (@taru_tasaku) October 21, 2020
●一点のみに集中して周囲の存在が消える過集中
●一点に集中しているけど同時に周囲への意識もある過集中
後者の時の過集中だと体調はすこぶる良い。
これは過集中というよりフロー状態なのかな。#過集中 #フロー状態 #ギフテッド
過集中にも2種類あるようです(私の体験では)。
種類によって体調が変わる。
なんだか動物的ですが、人間なんざ所詮動物。
因みに動物占いでは私はゾウです。

(どうでもいい情報)
つぶやいた内容について書いていきたいと思います。
一点のみに集中して周囲の存在が消える過集中
過集中と言えば、この「一点のみに集中して周囲の存在が消える」というイメージです。
人によって感じかたは違うと思うのですが、私にとってはそれは「ゾーンに入っている状態」。
ゾーンに入っていると、私は周囲に対して無反応になっていきます。
その時は他人の反応すら感じとれないし、周囲の音も聞こえない。
つまり我(われ)の意識のみ。
それと同時に、自分の身体の反応すら意識外のものとなります。
だから、自分の体調の変化も感じ取りにくくなって、体が本当に動けなくなって初めて体調不良を知る。
本当に寝食を忘れて、暴走しているだけ。

確かに成果が出せるのですが、一旦体調不良でストップしてしまうと、それ以上の発展には繋がらない。
出来るのに、なぜか続かないと言われてしまう原因のひとつかなと思います。
飽きっぽいというよりも、体がついていけない。
それだけです。
話がそれてきました、ゾーン状態中の話に戻ります。
この過集中(ゾーン状態)に入ると独りよがりになるので・・・そうです、軋轢・誤解・齟齬、ありとあらゆる不調和が起きる可能性が大きくなる。
なんで周囲は理解しないんだ!できないんだ!!何なのだーーーー!!!
という不毛で不幸なサイクル突入。
表面的には他人との衝突が発生していなくても、心のなかでは大きな衝突・葛藤が起きる事も多々。
何度も書きますが、これはタサク個人の過去を振り返ってのことです。
今回は私の体験を説明する上でこのようにしました。
ひとによっては、とてもいい状態を「ゾーンに入る」としていると思います。
捉え方はそれぞれです。
単なるサンプルの一つとして見てください。
一点に集中しているけれど同時に周囲への意識もある過集中
物凄く集中しているはずなのに、自分の状態も含めて周囲への意識も把握できる状態。
この時の過集中では、全然体調が悪くならない。
この時のすこぶるよい状態での過集中は、私の中では「フロー状態」。
フロー(flow)というだけあって、絶え間なく流れる、流れ出る、湧き出る、流れるように動く感じです。
心がこんな状態なので、フロー状態にいるだけで癒される。
過集中で作業をしているのに、フロー状態だから余計なモノを流し去りながら、エネルギーは供給される。
過集中状態にもかかわらず、周囲の人(家族も含め)との不調和音が響くことなく過ごせる。
良いことしかない。
個人体験の範囲から出られず、般化できる表現方法が見つからない・・・。
もうここは、先ほどの川の動画をぼーーーっと1時間ほど見続けてもらって・・・穏やか~な感覚が出てきたな~と思ったら・・・次のこの動画の音楽を聴いていただいて・・・。
どうですか、この合わせ技。
伝わりますでしょうか?この「フロー状態の過集中」。
体感して初めて伝わるものってあります。
言葉で表現することを放棄して、動画の組み合わせで丸投げ。
そうです、手抜き・・・いや、視覚空間型思考にとってこの表現方法は有効な手段!
(*`д´)b OK!
自己受容作業をしながら、相当な集中状態にも関わらず、そして脳内惨劇・悲劇状態になっても、切り替えが上手くいって、体調も良くなっていったのはこのフロー状態であったからだと思います。
フロー状態が更に進んでフラット状態へ
このフロー状態(状況)が更に精度を上げてフラット状態へと突入した感じでした。
つまり、「ギフテッドの自己受容⑤」で書いた涅槃(もどき)。
悟っているとも違うので、私の書く言葉には何のご利益はありませんよ、残念ですが。
フラットな状態は、先ほどの動画の川よりももっと穏やかで、音もなく、波もなく、それでいてもっと透き通った感じです。
音も波もないのに、深いところで何かは流れて続けている。
そして、何か動きを五感で感知したら、どんなに小さくても反応できる。
その反応は自分の心の動きに対しても同じ。
神と一体じゃー!とか宇宙と一体じゃーー!!ってこたぁ言いませんが、そう受け止めてしまう危険性があるような気がします。
ここがきっと頭パッカーンと冷静の分かれ道。
でも、とても不思議な感覚であることは否定できません。
安心して下さい、あんなモノや

こんなモノは

使ってませんよ、いたって健全。
心の支え
ふざけずちょっと真面目に。
今回の自己受容作業するにあたって、心の支えになった言葉。
自分の内を見よ。内にこそ善の泉があり、この泉は君がたえず掘り下げさえすれば、たえず湧き出るであろう。
「自省録」マルクス・アウレーリウス (第7巻 59)
そして、フロー状態やフラット状態になって、理解がより深くなった言葉。
すべては主観にすぎないことを思え。その主観は君の力でどうにでもなるのだ。
「自省録」マルクス・アウレーリウス (第12巻 22)
したがって君の意のままに主観を除去するがよい。するとあたかも岬をまわった船のごとく眼前にあらわれるのは、見よ、凪と、まったき静けさと、波もなき入江。
むか~しの偉いひとの冷静な言葉を支えにしている限り、頭パッカーンの危険性からは逃れられると思っております。はい。
最後に
自己受容などという大層なタイトルで数記事書いてきましたが、所詮一個人の体験談。
言葉の定義が読んでいる方のものとは違うこともあるでしょうが、そこら辺はしっくりいくものに変換して頂ければと思います。
何かしらのヒントになる部分があれば幸いでございます。
1つ前の記事にも書きましたが、何気ない表現がギフテッドの過興奮性を刺激して、全く別の問題が解決するきっかけになることもあります。
それがギフテッド特性の強み&醍醐味だと思っています。
それでは
また、次回 ヾ(´∀`)