ギフテッドの自己受容⑤:自己否定嵐が突然終わり、やって来たものは

ギフテッドの自己受容⑤:自己否定嵐が突然終わり、やって来たものは ギフテッド大人の自己受容

2か月ぶりの樽タサクです。

ギフテッドの自己受容④を書いてあと、放置しすぎました。

タサクはちゃんと生きているのか?大丈夫か?・・・誰もきにしてないか。

 

邪な気持ちから、自己受容作業を開始したタサクです。

前回は、作業が進んで自己否定の嵐の真っただ中という話となりました。

今回は、自己否定嵐が終わって、やって来たもののお話。

ギフテッドの方々の何かの参考になれば幸いです。
(なるんか?なる人もいるかも・・・) 

 

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自己否定書き出しで新たな感覚を得て過興奮

自己否定を書きだしたページが増えることで、なぜか快感すら湧いてくるという変な状態に・・・というのが前回までの内容でした。

 

毎日毎日自己否定。昨日も今日も自己否定。明日もきっと自己否定

でも毎日違う自己否定

こんなに出るよジ・コ・ヒ・テ・イ~

ラッパー

(今だからこそふざけられますが、真っただ中ではそれどころじゃないです)

 

そして、前日に書いた自己否定ノートを眺めると、意外と書いていた時の自己否定のリアルな感情が再現されない

 

これは、想定外の感覚でした。

 

ノートの書き方は前回に説明しましたが、ノート内での自分ともう一人の自分とのやりとり(対話)です。

そして、翌日になってそれを読み返すのはまた別の自分。

書いている時のやりとりは、当事者同士なのですが、翌日は第三者になる。

 

これは本当に不思議な感覚です。

 

書き出したら、そこの内容の私と翌日それを読んでいる私は別人のよう。

前日の自分は今日の自分とは違う。

自分を俯瞰する感覚は子どもの頃から持っていましたが、その感覚とはひと味違う。

まぁ、すぐに別感覚だわ!ってなりませんが、なんだかジワーーーっとくる。

 

3Dの写真や絵を見るときに、立体視するとジワーっと浮かび上がるでしょ?あんな感覚・・・伝わるかな・・・。

立体視で3D

(もっとうまい表現できんもんかな・・・)

 

そんでもって、新たな感覚・感情を得ると・・・ギフテッド特性の過興奮が勝手に発動!

(新しい知識・感覚・感情を得た時、過興奮性が発揮される瞬間の自分を思い出してください)

あぁ・・・至福の時

至福の時

 

至福とは言っても、精神的なハッピーではなくて、脳内のバラバラなピースが物凄い勢いで連結されるときの感覚です。

(伝わるのだろうか・・・)

 

過集中や色んな過興奮性発揮で自分をとんでもない状態に追い込むのに、追い込んだ先で新たな種を見つけて至福を味わう。

追い込んだ先でも過興奮性を発揮。

無意識にやってしまうこと、これが本来の自分です。

 

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自己否定の終わりが突然に

過集中で鬼のように自己否定をノートに書き出し、翌日になったら別人格のように前日の自分を眺め、不思議な感覚・感情を味わって過興奮状態、そしてまた書き出す。

自分のギフテッド特性(過集中&過興奮性)を使いまくり。

特性にされるがまま・・・どうにでもなっちまえーーー!

やけくそ

 

こんな日が一週間続いた後、脳内惨劇でハンニバル・レクター・タサクが突然終わった時のように、自己否定地獄も突然終わりがきました。

腱鞘炎になるんじゃないかという程の勢いでノートに書きだしていたのに、急に

「あれ?出てこない・・・」

異世界へワープしたのか?ここはどこ?私は・・・タサクか。

 

本当に何も出てこない。自分をこれでもかと言うほどに痛めつける言葉(罵詈雑言)が湧きあがってこないのです。

突然、自己否定の嵐が終了。
(ほーたーるのひぃか~り・・・)

自己否定の嵐が終わり

は?何言っているの?って思いますよね。

私・タサクが誰よりも一番そう思っています。

自分が持っている自己否定の材料は、脳内にある時は無尽蔵だと感じるのに、書き出してしまうと尽きてしまった。

自己否定の材料は、同じものがグルグル回って無限ループと化していただけで、無尽蔵ではなかったらしい。

 

嵐が終わってやって来たものは

自己否定嵐が終わってスッキリ爽快で解放!って感じだと思うでしょうが、全然違います

心が空っぽっていうのか、ゼロですZERO・零・0!

 

そして、何か新にやって来るのでは?と思ったのですが・・・心が凪の状態。

凪・・・違うな、凪よりももっとフラットです。気持ちの揺れが一切なくなる。

気味悪いほどに、何もない。

ネガティブでどよーーーーんでもなく、ポジティブでウェ~イでもない。

中庸。真ん中。ゼロ地点。

 

それに、神経が研ぎ澄まされた感じでもあります。

過去記事でも書きましたが、過集中で体調を崩したときに訪れていた境地と似ています。

 

今までと違うのは、体調がすこぶるいいこと。

アレルギーで食べられなかったものが食べられるし、体調が悪くないのに、感覚の精密さがある。

感覚は敏感なはずなのに、精神への影響が少ない。

 

最後に

自己否定の期間が過ぎたら、究極?ともいえるほどのフラットさが自分の中に訪れて、本当に不思議な感覚です。

これってもしかして、噂のあれか?

 

涅槃

涅槃

とうとうギフテッドの過興奮性が極まって、頭ぱっかーんで新興宗教立ち上げか?!

(ヾノ・∀・`)ナイナイ

 

で、今回の自己受容作業の結果はというと・・・

●なんだか完璧主義への拘りが薄らいできた

●そして、自分自身の感覚・感情がより自分のものとして感じられる。

●何をしようとも、ギフテッド特性が勝手に発動するし、それが自分の感覚・感情と切っても切り離せないもので、辛さの原因でもあり、同時に喜びの原因でもあると感じる。

●↑このことを心底、地獄の果てから涅槃まで貫く感じで体感しました・・・とさ。

 

ギフテッド特性について今までいろいろ書いてきましたが、知識と経験をもとに書いていても、他人事のような感覚(俯瞰は得意なので)でいました。

どこか自分自身に対して冷めた目で見ていたのですが、自己受容作業を通して自分自身への労わり、情?愛?そんなものが・・・心の奥底から湧いてきたような・・・。

 

これ以上追求すると、やっぱり頭ぱっかーん新興宗教立ち上げーーーー!

ってなりそうなので、フラットな精神状態になってからの話は、次の記事で書きます。

 

また、次回 ヾ(´∀`)

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