こんにちは、樽タサクです。だんだん更新間隔が長くなってきました…。
これはいかん …_φ(゚∀゚ )アヒャ
今日は長めなので、さっそく本題に入ります。
タサクにはギフテッド友人がいます。たまたま友人になりました。(経緯はこちら)
(※以降表記しやすくするために、ギフ友Cと書きます)
育った環境も好みも違ったりしますが、友人になりました。出会えたのは偶々です。偶然。
これは以前にも書いた通り。
そりゃあ、MENSAなどに入ったり、ギフテッド教育をメインにする場に行ったりすれば簡単にギフテッドに出会えるでしょう。
そんなの都会での話です。田舎者にはハードル高し…( ;∀;)
偶然にもギフテッドの友人が見つかった
仲間を求めていませんでしたが、自分なりに生きる思考錯誤をした結果、たまたまギフテッドの友人を見つけました。
自分の特性を隠すことに疲れ、かといって特性を主張する勇気も気力もないので、生きるために色々な方法を模索していました。疲れた…。
周囲に気づかれずに、隠れて自分の特性を活かす。忍者みたいな感じのタサクになりました。

でも私がこれができるようになったのは、だいぶ大人になってから。
生き延びてきたギフテッドは自分の特性を隠す術を体得しています。
まぁ、体得しなければいけない状況に追い込まれていた だけだと思いますが…。
大人になったギフテッドの人たち、特性を無意識に隠しているので、自分がギフテッドだと気づいていない人が多いかもしれません。
私の友人、ギフ友Cもその一人でした。
だいぶ仲良くなっていろいろな話しをしだした頃、ギフ友Cの子どもの頃の話になり、それがギフテッドあるある話と同じでした。
そのあるある話が私と被るので、その話が起こる原因などを私が説明する(ギフテッド特性の説明)
育った環境や年代が違っていても(私とギフ友Cの年齢差10歳)、同じギフテッド特性を持っているのでエピソードが似てきます。
ギフテッド特性をもとに話すと面白いように過去の疑問が解消されていきます。
今では、色々な話ができる友人になりました。
ちょくちょく探っていた?!
友人となるまでに、知り合ってから3年近く経っていました。
結構長い期間かかりました。他愛のない会話を続けるだけの期間でした。
ギフ友Cは私に対して、
「なんだかタサクさんと話すと楽なんだよね。話が通じる…なんか周囲の人と反応がタサクさんは違う…なんか隠している? でも聞けない…。」
と、思っていたようです。
ギフテッド同士だと、特性を隠していてもチョロチョロ漏れていて分かるらしい。

忍法ギフテッド特性隠しが見破られていた模様。
(;´Д`A “`
ギフテッド友人の人生はタサクとだいぶ違う
ギフ友Cは私と違って、しっかりとした人生を歩んでいます。
しっかりとした人生というと、世の中が普通だと納得するような人生です。
一般的に見て、何ら逸脱していない人生。
学校も普通に卒業し、就職・結婚・子育てを普通にしている逸脱していないようにみえる人生。
なぜ、ギフ友Cがそれができたのか?
Cは、子どもの頃から自分と自分以外を区別して冷静に観察していたそうです。
Cにとって救いだったのは、両親がCのことを否定することなく、それでいて期待をしないで自由を与えていたこと。
私とギフ友Cとの大きな違いはそこ。
ギフ友Cは、
「自分はどうやら周囲とは違うらしい。これは仕方がない。自分が心地いい状態を選択していくしかない」
と思って生きた。
学生時代も友人はいたけれどCを理解できる人はいなかったらしい。
その中で、周囲と自分との違和感、差、どうしても埋められない溝、隔絶されたような感覚、それらをずっと抱えていました。
それでも、「これは仕方がない」という達観みたいなものでスルーしていたようです。
恋愛に関してもこのスタンスは変わらず。惚れたはれたは一時のこと、結婚する相手は自分が心地いい状態でいられる相手を選ぶ。
学生時代からのCの友人たちには、なぜこの人と結婚するのか理解できないと言われたらしい。どうやらこれまでのタイプと全然違っていたらしい。
Cの言い分は、「この先長く続く人生を考えた。だから自分であり続けられる相手と共に生きるという選択をしただけ(好きということは当たり前だけど)」
今でもCは家庭円満です。(パートナーはギフテッドではないらしいが、子どもはギフテッドの要素がちらほら見えるらしい)
学生時代のエピソード
ギフ友Cは学生時代、ギフテッド特性の精神運動の過興奮性発露で授業の妨害になることが多々あり、先生から邪魔だから寝てろ!と言われる程。
まじめに授業を受けていないのにテストで満点を取るCは、カンニング疑惑が常にあり、そのせいで職員室へ呼ばれて尋問される。

授業での自分の状況を把握していたし、それでいて満点は疑われても仕方がないと思っていたらしい。
「教科書一度読めば、意味が分かるし、テスト前日に一回みればOKだったからね。モノ(教科ごとに)には理屈があって、それが分かれば問題が解ける。学校の勉強はそういうものだと思っていた。でも、それは人に言ってはいけないことだと思ってずっと黙っていた。」
(どー考えてもギフテッドだろって言ってツッコミました)
テストは先生の完全監視下で受けることもしょっちゅう。
受験勉強などもしたことがなく、大学まで楽に行けたらしい。
それでいて、一生懸命に何かに取り組んだという記憶がないので、
「周囲の人は一生懸命努力して、いろいろ受験でもなんでもつかみとっている。だから喜びがある。自分には喜びがないのは真剣に人生を生きていないから…だから自分はダメなのだ」
そういう思いをずっと抱えていたそうです。
違うのは仕方がないという達観と、真剣に生きていないからダメなのだという自己否定のはざまにずっといる状態。
ギフテッドの特性をいろいろギフ友Cに話すと、今までの自分(C)が抱えていた違和感・疑問・行動理由の説明がつくと感じたようでした。
大人になったギフテッドにとって、自分の言動を特性をもとにして理解・説明できることは、精神衛生上とても大切です。
自分のギフテッド特性を認識すると、周囲との違いが強く余計に感じることがあると思いますが、それでも理解・説明できることは大きな安心を得られます。
ギフ友Cは内蔵に持病があり、治療のために入院を何度かしてました。本人曰く、
「自分の病気はストレスが最大の原因とはわかっているのだけれども、ストレスの原因が何か分からなかった。ギフテッドのことを知ってからだいぶ体が楽になった。最近、痛みがなく調子がずっといい。これは本当に不思議」
ギフテッドだと認識したからと言って、病気が即完治することはないです。
しかし、心に抱えていたモヤモヤを解消して自分の特性を理解・説明できる状態になると、ストレスを大きく減らすことができることは確か。
ギフテッド同士でお互いのカウンセリング

ギフ友Cとはたまに会って、お互いをカウンセリングしている状態。
年齢、環境、いろいろと違う(性別は同じですが)者同士です。それでも、ギフテッド特性であるメタ認知(客観視)を駆使し、いろいろな状況を把握&整理したものをお互いに持ち寄って、それについての会話を楽しむ。
それがお互いのカウンセリングになっていたりします。心と思考がさらに整理しやすくなり、理解が深まったりします。同じ特性を持った状態で会話をするので、負荷が少なくてストレスが解消しやすい。
(参考記事:ギフテッドがギフテッドを見つける方法)
持ち寄った話のコアの部分を議論して、結論と対策案を出す。それを基に各々また自分の生活に持ち帰って結論に基づいた方法で試してみる。
議論するといったって、終始真剣な感じではなくて、相当なおふざけをしていたりします。

一つのワードから連想される色々なことをゲラゲラ笑いながら言い合って、とんでもない会話になります。それでも更に連想していって、うまい具合に本題へと戻る。
同じ特性を持つもの同士であるからこその楽しみと醍醐味でもあります。
お互いが持ち寄る話の内容はタイプが違うものだったりします。それでも話し合っていくうちに、違ったもののように見えていた内容の共通部分が見えてきて、理解できる瞬間があります。現象は違っていても、根底にあるものが同じというパターンは世の中たくさんあります。ギフ友Cとの会話ではそのパターンを発見しあうことができます。
それはまるで数千ピース規模のジグソーパズルを完成させていく作業のようで楽しいです。
このピースはどこだー!
といいながら場所を探し、ハマった瞬間の感じ…達成感と幸福感が同時に訪れます。
ハマッたーーうひょーーーー!!
喜び方は中高生のノリだったりする。アホ丸出しです。
お互い会う時はこんな感じですが、頻繁に会うことはありません。数か月に一度、忘れたころに連絡が来て会って話すだけ。
同じギフテッドがいるのだという安心と信頼感。ギフテッドの特徴的な思考回路で考えたことをどうやって生活(家庭も職場も)に活かしていくかの考察。
それが何よりもカウンセリングになる。
最後に
ギフ友Cと私タサクは、辛さや傷をなめ合う関係ではないです。
依存関係ではないですね。ドライといえばドライな感じ。Line なんかも全然しません。
ギフテッドは自分で自分を客観視することは得意です。得意なのですが、客観的に見た自分を厳しく評価することがあります。
自分の特性で自分を追い詰める。
そんな自分をギフテッド友人と会話することで、さらにもう一段上から客観視できるようになりました。
新たな視点を獲得する感じかな? 自分に対する新たな視点は、心の安らぎに繋がります。
カウンセリングってこういうことなのでしょう。
それでは
また、次回 ヾ(´∀`)