ギフテッドの教育と環境:ギフテッドが大人になって振り返って思うこと

ギフテッドの教育と環境:ギフテッドが大人になって振り返って思うこと ギフテッド児のあれこれ

こんにちは、樽タサクです。

 

特に子ども好きでもないのに、子どもから好かれます。
人見知りの激しい友人の赤ちゃん、私が抱っこしても平気。

 

親戚の子・友人の子関係なく、なつかれる。

 

うたのお兄さん、お姉さんのような態度は一切しません。というより出来ない!

 

ヾノ>д<。) ムリムリ

 

子どもに対峙するとき、子ども扱いを私がしないからなのか?と思ったりします。

 

自分の子どもの頃、大人の子どもに対する態度に嫌悪感を覚えることがありました。

 

子どもは何も理解できないという前提で接してくる態度。

 

あれは一番イヤでした。

 

猫のつぶやき

心の中で「コイツ信用できないオトナ」と思っていましたし、実際そういう大人でした (*’▽’)

 

子どもの頃、いろいろ分かっているけど、言葉として適切な表現ができないというフラストレーションがありました。

 

大人になった今でもその感覚を覚えていて、子どもは言葉にしないだけでしっかり理解はできていると思っています。

 

だから、どんな子どもにも一人の人間として対等に接しようとしているのかもしれない。

 

(結果、子どもに好かれる)

 

子どもの頃に感じた事をを思い出して実践してみると、うまくいくことがあるのかなと思います。

 

そこで今回は、大人になったギフテッドが子どもの頃、どんな教育をしてもらいたかったか?

 

どんな対応してくれたらうれしかったか?

 

子ども時代を思い出しながら、自分が欲した教育と環境について書いていきます。

 

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ギフテッド子どもの欲求

ギフテッドの特徴でもある知的過興奮性の記事でも書きましたが、知りたい・学びたいの欲求が非常に高いです。

 

それも、年齢・性別の枠からはみ出していることが多いです。

 

年齢・性別だけならまだしも、傍から見て「これって何の意味があるの?」っていうものだってあります。

 

知的欲求に制限をかけないで、自由に知りたいことを追求させ欲しい。

 

そんなことをずっと思っていました。

 

博士

 

TVに出てくる知識が豊富な○○博士みたいな子がいますが、そういう子の親がよく言う言葉、

 

「好きなことを自由にさせました、ただそれだけです」

 

この言葉は、「そんなもの役に立たない、意味がないなんて言いませんでした。」ということと同じだと思います。

 

ギフテッド特性をもつ者からすると、天国のような言葉です。

 

こういうことを思って(言って)くれる大人に出会いたかった…。

 

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学校の勉強

タサク自身の経験では、学校成績の良さは自分の知的欲求の副産物でした。

 

色々なものに興味を持ち、知りたい欲求から色々調べて見聞きするからそれが論理的思考の訓練になる。自分の知的欲求を満たすことでのメリットで、コツコツ学校の勉強はしなくても学校の成績が良かったのかも。

 

物事を論理的に考えることができれば、思考の基礎は出来ていると思います。

 

論理的思考ができるから、学校の勉強は見ているだけで理解できる。学校の授業でやる思考訓練をギフテッド特性で興味を追求することで勝手に訓練している。

 

そういうものだと思います。

 

子どもの思考力を知る

ギフテッドの子どもだと、自分の興味のあることを論理的に説明ができたりします。

子どもの思考力がどうなっているか知りたければ、その子が取り組んでいるものの説明をさせてみてください。

周囲の大人はギフテッドの子どもを 「理屈っぽくて、面倒くさい」 と感じるかもしれませんが、そこがポイントです。

理屈っぽく言えることは、論理的思考ができていることです。

 

タサクの子ども時代

子どもの頃、学校はつまらなかったです。
まぁ、ギフテッドあるあるの話ですが…。

 

でも唯一、楽しかったのは野球の話ができること。
野球が周囲との共通言語みたいなものでした。田舎の小学校ですから、多くは巨人ファン。

 

私が全12球団の選手や野球解説者の話がしたくても、それに対応してれる友達はいませんでした。
そこはフラストレーション溜まるポイントでした。

 

小学生が野球解説者の話をするなんて…

 

もうただのオッサン  苦笑_〆(´Д`; )ハハッ

 

家ではネグレクト状態だったので、夜遅くまでTVを見ていても叱られることがありませんでした。
なので、23時過ぎに始まるプロ野球ニュースを観るのが日課。

 

おいおい、小学生がそんな時間まで起きてるって…。
就寝0時越えで、朝は目覚まし無しで6時30分に起きる。

 

授業中の居眠りなし  (๑• ̀д•́ )✧+°

 

身長が低いのは、睡眠が少ないことからくる成長ホルモン不足か… ┐(´д`)┌

 

学校はつまらないし嫌いなのに、遅刻することはありませんでした。
むしろ、登校1番のり。
「あー行きたくない、面白くない」そう思いながらの通学路。

 

静かな教室でポツンとする時間が心地良かったのを覚えています。
変なヤツです。

 

勉強したり新しいことを学ぶのは好きだけど、その周囲にいる人たち(同級生、先生)が煩わしかっただけかもしれない。

 

大人に対する不信感

先生など周囲の大人からの一方的な決めつけが嫌でした。

・教わっていないからだめ。
・基礎をおえてないからまだ進めない。
・これはまだあなたの年齢では難しいよ。
・順序通りに学んでいかないと結局応用力はつかない。

 

だめな理由を説明しない、というか説明ができない。
説明を求めると、感情的になって最終ワード「子どものくせに、知ったような口をきくな!」が出る。

 

子どものころのフラストレーションがまだ心のどこかに残っています。
学年別で分けることなく勉強がしたかった、小学校低学年でも中学の勉強に手を伸ばしたかったとか…色々。

 

先取学習というと目標や意識が高い印象をうけますが、知りたい・面白そうとういう純粋な欲求なだけです。

 

 

羨ましい環境だと思った話

歌舞伎俳優の中村吉右衛門さんは、自身の本の中で小学生の頃のことをこう言っていました。

 

僕などは子供のこらから子役として大人の中にいましたから、ふつうの子供よりは、ずっと大人の社会をしるのが早かったといえるかもしれません。—(中略)—
僕も大人の中にいましたから、ある面早熟で、同級生が子供に見えてしょうがなかったものです。なにせ小学生のくせにジャズが好きだったんですから、友達なんてできやしませんよ。同じように、小学生でドストエフスキーを読破したうえに、マルクス、レーニンが愛読書なんてやつとか ーその彼は今は大学教授になりましたけどー そういう子供のくせにひねてるもの同士で、仲間になっていましたね。

物語り 二代目中村吉右衛門著

 

本のこの部分、今でもとても印象に残っています。

 

同級生が幼く感じて、早熟した感覚を共有する仲間に恵まれたこと。
自分がもし大人と会話ができる環境にいて、そしてこのような仲間に出会えていたらどうなっていただろうか? 心底羨ましいと感じました。

 

最後に

そりゃあ教育にお金を多くかけられれば、それに越したことはないけれど、下記のポイントだけ押さえていけば、大げさなことをしなくてもいいのでは?と思います。

 

●(大人から見て難しく思えても)自分の進みたいこと、やりたいことを探求する自由
●色々な大人と関わりを持つ
●賢くても否定されない環境にいる(子どものくせにと言われない)

 

う~ん、当たり前っていえば、当たり前か。
でも、この当たり前のことが私の教育や環境には十分にはありませんでした…。

 

残念  (ノд-`)

 

1970~1980年代にはこれらの環境ってなかなか難しいか…仕方ない。

 

ギフテッドにもいろいろいますが、タサクと似たようなギフテッドの子どもの教育の参考にはなると思います。

 

それでは
また、次回 ヾ(´∀`)

 

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