こんにちは、樽タサクです。
何か思いついたりして、それを話したい、表現したい、行動したいとウズウズすることありますか?こういうときって精神運動の興奮状態。
その程度が大きいと、精神運動の過興奮性。とてもエネルギッシュな状態です。
ギフテッドの精神運動の過興奮性がどういう感じで起こっているのか書いていきたいと思います。
精神運動の過興奮性とは…
精神運動の過興奮性のある人は、筋神経系の興奮性が高く、「活動性やエネルギッシュさの許容量が多きい」ように見える。動くことそれ自体が大好きで、エネルギーが有り余っている。それは早口、熱烈な意気込み、身体活動や活動欲求の激しさとして現れる。 -(中略)-その無限ともいえる身体的・言語的情熱や活動性により、彼ら自身は非常な喜びを得られるが、周囲は圧倒されてしまう。子どもの場合、家や学校で片時もじっとしていられず、常に何かを話しているように見えることがある。
ギフティッド その誤診と重複診断●心理・医療・教育の現場から
芸術系の才能(タレンテッド)の人たちがこのような過興奮性を発揮するイメージだと思います。
頭に浮かんだアイディアを消えないうちに書き留めておきたい衝動。
自分の感情の表現を体で表現したい衝動。
作品という形で残らないけれど、ギフテッドにも同じような衝動に駆られます。
パッと見だとADHDのように感じられる
ずっと動いている印象を与えるので、ADHDの行動と似ているのかもしれません。
ギフテッド+ADHD というパターンもあるので、ADHDではありませんと言い切れない部分があります。
ここはとても難しいです。
衝動的なことや多動的なこと、ADHDと似ています。
ここではギフテッド特性だけで、ADHDではないという限定にして続けます。
違いは、自分で自覚があるかどうかにかかってくるかと思います。
周囲が自分の行動に対してどういう目で見ているか理解できる。
つまり、空気を読んで周囲を認識できている。
そして、衝動的・多動的な部分を改善する意識を自分で持てる。
シンプルですがここがポイントだと思います。
ギフテッドは気になったらとことん追求したい衝動があります。
周囲の反応と自分の知りたい・表現したいという衝動。
この2つがせめぎ合う感覚。
たまに衝動が勝って、空気を読めない状態になることがある。
そんなときADHDと似た状態になる。
心の内は他人からは見えません。
だからADHDと思われることがあるのかもしれません。
自分が思いついたことを衝動的に行っているとき、または表現しているときを客観視してみてください。
ギフテッド特性のみを持っているのであれば、自分の状態が確認できるのではないでしょうか?
私の場合の精神運動の過興奮性はというと…
知識を得て、自分なりの思考である結論にたどり着く。
そうするとそれまでの過程、つまり 知識獲得 ⇒ 思考 ⇒ 結論(自分なりの)
を説明したい衝動が起こります。
その説明と共に結論に至った喜びも表現したい。
喜びと相まって、相当な早口になります。
身振り手振りも激しい。
たまに、外国生活が長かったの?って聞かれたりしました。
とにかくダンサーですか?ってなぐらいによく動きます。

相手は私の衝動の矛先になる。
ちょっと想像してみてください、一方的にそうされると迷惑です。
子どもの頃だと、自分の中でのバランスが取り難かったです。
周囲のドン引きも認識できるけど、自分の衝動をどの程度出せばいいか悩む。
話ながら、「これはマズイぞ…、うわっまたやっちまった…」と並行思考する。
分かっちゃいるけど…分かっちゃいるけど…
そんな感じでした。
こんな状況を多く体験すると、自己嫌悪が強化されまくり。
そしてお決まりの自己否定コースまっしぐら ε=ε=ε=┌(;*´Д`)ノ
自分で認識している分、大きなトラブルになることはなかったのですが、衝動が起きることに自分で参ってしまう。
甥の精神運動の過興奮性

タサクの甥もギフテッドです。
甥は学校でうまくやっています。
学校でのことを見聞きす内容は、困難な小学生時代を過ごしたタサクからすると衝撃的。
甥は授業中のフラストレーションはあるらしいです。
それは私と同じ。
勉強ができるので先生は、挙手をしても甥をスルー。
甥はそれを分かっています。
なので、うまいタイミングでクラス中の注目を集める行為をする。
どういうことかというと…
先生が何かを説明する。
あえて大きな声で、その説明の言いかえをして答えを導き出す。
それを聞いたクラスのみんながアハッ!となったそのとき、
「タラララッタラー! 俺たちは今○○の解きかたを知って、また一つアイテムをゲットした!!」

と言うらしい。(クラス中ドッカーンと大爆笑)
授業の邪魔はしていない、そしてクラス中の理解を促した。
先生もそこは叱れない。
私にはそんな芸当できゃしない。
これは性格と言えばそれまでだけれども、人の役にたつことを少々入れるだけで拒否されることは少なくなる。そんな一例だと思いました。
いや~、これは稀なこと。
決して良い子はマネしないでね~と言いたい。(ってか出来ないよ)
甥が幼児の頃から、妹(甥の母)には学校での生活時の注意事項を伝えてありました。
●学校の進みかたと、甥の能力の差があるからその認識は本人にはしっかり伝えること。
●本人が周囲の状況をちゃんと観察できるようにすること。
注意事項を踏まえて、妹は自分のギフテッド息子に対して次のように言い聞かせました。
「みんなそれぞれの進み方、理解の速さがあるからそれを尊重しよう!」
「先生はみんなが理解するための仕事をする。あなただけには構っていられない、そこをちゃんと理解しよう!」
事あるごとに本人に認識させることを妹はしてきました。
ってかその結果がこれ…。
妹は、先生との面談で
「○○君(甥)がいると、授業がとても助かります。欠席のときは授業はとても静かですが…」
と言われるそうです。(毎年、どの学年でも担任から言われる言葉)
授業の妨害ではなく促進。
そういう特性発揮の仕方ってあるのね。
なんといいますか、予想の斜め上を行っていました。(脱帽)
最後に
大人になって、自分の精神運動の過興奮性はだいぶコントロールできてきました。
常に客観視することを忘れない。
それが自分をコントロールする道。
自分の衝動をどうにかコントロールして、周囲を観察しそれにアジャストしながら乗り越えてきました。
それを続けていると、それ以外の道のみしか見えなくなることもあります。
甥のエピソードを見聞きすると、自分が思考の枠にハマり過ぎていたのではと思います。
長く生きるると知恵・経験が豊富になるけれど、その分荷物や障害物になって視界が悪くなることもあるもの。
観察してタイミングを見計らって自分の特性を発揮する。
そういうやり方もあるもんだ。
10年も生きていないヤツに教わるとは。
(;´д`)トホホ…
参考になるのは本・人生の先輩・ネットやメディアなどの媒体だけじゃないですわ。
うまくいった方法をずっと採用するのではなく、その都度バージョンをUPさせていくことも忘れずにしていきたいです。
それでは
また、次回 ヾ(´∀`)