こんにちは、樽タサクです。
久々の更新になりました。
今回は、秀才とギフテッドの勉強へのアプローチについてです。
両者には違いがあります。
秀才は目標を設定してそれに向けて努力する。だから勉強に関しても同じようなアプローチをとり好成績をおさめる。
ギフテッドは興味のあるものを追求した結果、副産物として学校の勉強が好成績になる可能性がある。
この違いは大きいと思います。
秀才から見ると、ギフテッドのアプローチは異端で理解しにくく、間違っていると指摘されることも…。
私は、ギフテッド特性発揮で副産物的に学校の成績が良かったので、高校は進学校へ行きました。
進学校で自分と他者との違いに戸惑い、迷走人生が始まりました。
世の中の受験生を知らなかった…
私の世代は人口の多い世代です。いわゆるベビーブーマーのベビーブーマー世代です。
受験戦争真っただ中。
競争相手が多い世代です。
それでも、私は世の中の受験の流れが分かっていませんでした。
わけも分からず高校受験の準備
塾へ通ったのは高校受験の1か月前のみ。
受験慣れするために通っただけ。
今考えると、その塾は私をよく受け入れてくれたなと思います。
受験に対する心構えもなく、入塾テストを受けました。
本番でもないしなぁ…と思ってあまり真剣にならずにテストを受けました。
入塾テストの結果を踏まえて、塾長と母と私の三者面談で
「何考えているんですか? この成績でA高校を受けようだなんて、ナンセンスにもほどがありますよ!」
と塾長に言われてしまいました (;´∀`)
どんなテストでも真剣に取り組まなければいけないと、その時私は初めて知りました。
呑気なヤツです。
母に向かって塾長は、
「一応受け入れて様子を見ます。 最初の模試で塾内で5番以内ならA高校合格可能性はありますが、5番以内なんてどうせ無理ですよ。」
と言いました。
こうして、私の初めての塾通いが受験1か月前に始まりました。(大げさな…)
塾通いの1か月間、塾内での模試をすべて5番以内の結果を残しました。
初めての模試の結果を見た塾講師たちが、唖然としていたのをよく覚えています。
こうして無事に、進学校であるA高校に合格しました。
まぁ、ここまではうまくいった話ですが、ここからが問題に…
秀才たちの過去を知って驚き、迷走し始める
中学校は退屈だったので、高校は進学校に行けば知的刺激が多く受けられるのだと期待していました。
色んな面白い興味を持った、知的好奇心が旺盛な人たちと知り合えるのが進学校だと思っていました。
私にとって勉強は、知的刺激の一つという位置づけです。
より良い大学へ行くための目的達成手段という認識がありませんでした。
高校に入り、周囲のがみんなが筋トレのように「受験勉強すること」を塾で鍛えられていることに衝撃を受けました。
彼らはしっかりと目標をもって、それに向かって努力を重ねてきていたのです。
私にとって、学校成績の良さは、「自分の興味を追求したあとにもたらされる副産物」。
高校入学後に初めて、勉強するということはコツコツと筋トレするようなものだと知りました。
そして私にとって最大の衝撃が、
高校生活すべてが大学受験のためだけの生活になること。
愕然としました Σ( ̄ロ ̄lll)
本格的に受験勉強は3年生になってするものだと思い、それまでの2年間は自分の興味へ没頭できるものだと思っていました。
とんだ勘違いです (;´Д`A “`
地方の進学校は、受験以外の目的を認めずがんじがらめの状態で、受験に関しては、脳みそで汗をかけ!の体育会系です。
ここまで書くと、お察しの方もいらっしゃると思いますが、地方の進学校の現状(平成初期)を知らなかったのは私だけ。
高校の同級生はみんなそれを納得して、既に順応した状態で入学していたのでした。
今でいうと私は「情弱」みたいなものです。
そのことを知ったのは高校卒業してからだいぶ経った後。
我ながら、情けない。 アホです。 笑えます。
自分の性質とは合わない所を選んでしまった後悔。
そして、高校を辞めるという選択肢が浮かばず、ただじっと耐える日々。
高校3年間は地獄でした。
子どもの頃から家庭環境は最悪でしたが、ネグレクトに近い状態だった分、自分の思考の自由はありました。
(私に対するネグレクトが、ギフテッド特性を制限しない良い方向へと、偶然転がっただけですが)
高校入学後の私は、周囲と同じ思考をすべきだと考え、自分の特性を抑えました。
「そのやり方おかしい、間違っている」(結果オーライにしてもらえない)
「アナタだけだよ、その考え方」
「そんなことに興味を持って、何になるの? 意味あるの?」
(受験に関係ないものは排除で、私は単なる雑学王扱い)
こう言われるとつらくなり、周囲の人たちがするような勉強方法や考え方を自分に課し、とにかく普通になることを心掛けました。
文面にすると、人間関係にトラブルがあったような印象を与えますね (笑)
実際は周囲と同じになる仮面をかぶり続けましたから、人間関係は良好でした。
人間関係が良好でも、自分独自の思考で勉強ができなくなったのは 拷問 のようなものです。
無理して自分の思考を矯正するので、当然ですが成績は悪く、体は不調になり、大学受験も失敗に終わりました。
良かれと思ったことが逆に地獄のようなことになる。
自分にとって、何が一番大事かを知り、選択することは難しいです。
高校卒業後に自分を取り戻し始める
高校卒業後は、一応浪人生活をしましたが受からず、大学進学をあきらめました。
23歳までアルバイト生活。
面白いことに、少々人生をドロップアウトしたら、高校時代の「普通にならなければ」の呪縛から解放され始めました。
ギフテッド特性を抑える必要がなくなってきたということです。
そうすると、純粋に勉強がしたくなりました。とにかく学びたくて仕方がない。
まるで、禁断症状のようです。
高校時代の同級生から受ける同調圧力がないので、自分独自のギフテッド特性全開です。
そして、バイトをしながら勉強し、模擬試験を一切受けずに10か月後、地方の国立大学の工学部へ合格しました。
大学受験再挑戦で勉強していた10か月ほどの間の私の姿は、親からは努力していると見えたそうです。
勉強している=努力している
という印象がありますものね。
私本人はというと、努力の意識はなく、
「うひょうひょ、わーい!超たのしーーーー!!」 o(^▽^楽)o
という状態でした。
勉強の方法も我流で、思考もあっちこっち飛び回りながらしていたと思います。
国語の勉強をしていたら、急に物理の問題の解答の流れが思いついて物理の勉強をしだすとか。
ごちゃごちゃ勉強法です。 説明が難しい…。
恰好よく言えば、クロスオーバー勉強法?
まぁどっちでもいいか。
当時は、勉強すること=興奮状態 だったと思います。
大学受験勉強が、大学合格という目標達成のためではなく、私の知的欲求と好奇心を刺激する対象だっただけ。
そんな感じです。
このような私の感覚は、ギフテッド以外からはなかなか受け入れられないと思います。
大学に入ってからも、自分の特性全開で勉強して成績上位で卒業し、大学院へと進みました。
国立大学の良いところは、低所得世帯で成績が良ければ授業料全額免除になるところ。(現在はどうなっているかわかりませんが…)
ほぼ、大学院まで授業料はかからずに終えました。
最後に
秀才の勉強や目標達成へのアプローチ方法は憧れます。
たとえ秀才ではなくても、秀才の方法を真似すれば程度の差はあれ、効果があると思います。
ギフテッド型の思考でなければ、秀才型の思考や勉強法をどんどん真似して自分の能力をアップグレードさせることができると思います。
一つ一つ段階を踏み、練られたカリキュラムに沿って、目的地へ到達する。
高校の同級生たちはそうやって順当に医者や教師になったり、企業の出世コースに乗ったりしています。
どんなに良い方法でも、私の特性では、彼らのように上手くいかなかった。
唯それだけのことです。
ギフテッド特性に合った方法でやっていくしかありませんでした。
そこにたどり着くまで、私はだいぶ遠回りしました。
私の経験が、誰かの生きやすくなるヒントになればと思います。
それでは
また、次回 ヾ(´∀`)